2016年2月15日月曜日

あにれくのあぶく:古墳・遺跡の楽しみ方 その1 前渋

はじめまして!

2015年の9月辺りからお手伝いさせて頂いている前渋と申します。
 アニメ制作の現場の人間ではなく、弁理士という、特許や著作権等の仕事をしています。
 元々、パソヲタの特性を生かしてソフトウエア関連の特許を中心に仕事をしていたのですが、この仕事を目指すキッカケとなった「いつか知財でディズニーを倒す」という目標にむけ、著作権等の知財面でアニメ業界で御手伝いをさせて頂くべく昨年よりフリーランスで活動しております。以後、お見知りおきを。





 で、ここで何を書くかという話なのですが、知財に関しては自分のブログでちょいちょいと書いておりますので、ここではアニメに次ぐ趣味である日本の古代史に関して書きたいと思います。だって何書いてもイイって言われたんだもん。

 「アニメに次ぐ」というと、アニメとは別の趣味のような感じですが、はっきり言って古代史の趣味とアニメの趣味との区別は自分にとってはないも同然です。
 アニメ観たり漫画読んだりゲームしたりするのも、日本の古代史を探訪するのも、大元のパッションは「そこにある物語、人間ドラマを楽しみたい」というものです。

 なので、実際に古墳や遺跡に足を運ぶのは、らき☆すたファンが鷲宮神社に行ったり、あの花ファンが秩父に行ったりする聖地訪問と同じです。

 それくらい、歴史的な経緯や神話等を知ること、それを知ったうえで古墳や遺跡を観に行くことは楽しい、というお話です。

 せっかくなので、あにれくの拠点である杉並アニメーションミュージアムを基点に始めようと思います。

 杉並アニメーションミュージアムの向かいには、「荻窪八幡神社」が鎮座しています。
 「八幡神社」、「八幡宮」、「はちまんさま」、全国各地に鎮座していますが、共通して八幡神が祀られている神社です。

 この八幡様、源氏によって長く崇拝されていたことにより武人の神様として知られるところですが、全国の八幡様の御祭神を詳しく見てみると、第一に第15代応神天皇、次に応神天皇の母である神功皇后、続いて比売大神等が主流です。

 この応神天皇、神功皇后ですが、日本の古代史において第一級の重要人物なのです。

 そんな応神天皇の古墳は、大阪府曳舟市の誉田御廟山古墳とされています。


応神天皇陵の外周の一角に立てられている説明看板(2015/10撮影)
日本最大の面積を誇るのは大阪府堺市にある墳丘長486mの仁徳天皇陵の大仙山古墳ですが、応神天皇陵は425mで第2位、そして盛り土の体積ならば仁徳天皇陵を凌いで最大です。ちなみに、仁徳天皇は応神天皇の子で、仁徳天皇も八幡様として祀られていることがあります。
 この大きさだけでも応神天皇が重要な天皇であることはよくわかるのですが、更に応神天皇の重要性が伺えるエピソードがあります。

 それは古事記に記されている応神天皇の出自や経歴の不自然さ、そこから生まれる様々な憶測によるもので、一説には現在の天皇家の祖は応神天皇であるとも言われています。それほど、応神天皇は日本の古代史における最重要人物の1人なのです。

 全国各地鎮座する八幡神社にて祀られている、ということだけを考えても応神天皇や神功皇后が歴史上特に重要であることが伺えるのですが、それ以上に応神天皇に注目するべき古事記のエピソードを御紹介。

 応神天皇は第14代仲哀天皇の子。そして仲哀天皇の皇后、つまり応神天皇の母はかの卑弥呼の正体の候補者でもある有名な神功皇后です。
 更に、仲哀天皇の父はかの有名な古代の英雄、ヤマトタケルです。

 つまり、応神天皇はヤマトタケルの孫であり、かつ卑弥呼(かもしれない人物)の子ということになります。
 ちなみに、神功皇后=卑弥呼、かもしれないと言われているだけで、前渋個人としてはこの説には反対です。

 興味深い、というか怪しいのは、本当に仲哀天皇の子なのか?という点

 古事記の記述によれば、神功皇后と仲哀天皇は熊襲征伐のために九州を訪れます。
 そこで、海を越えて新羅へ迎えとの神託を受けますが、それを無視した仲哀天皇は神の怒りによって崩御されてしまいます。
 その時既に神功皇后のお腹にはオオトモワケノ尊、後の応神天皇が宿っていたということですが、神功皇后はお腹に応神天皇を宿したまま新羅へ向かいます。これが有名な三韓征伐です。

 で、なんですが、この三韓征伐の最中、お腹の応神天皇が生まれそうになります。きっと十月十日がきたのでしょう。
 そこで神功皇后がどうしたかというと、石をお腹に括り付けて出産を抑えて三韓征伐を行ったというのです。
 そして九州に帰ってきてから応神天皇が生まれます。
つまり、応神天皇は十月十日よりも長い間、神功皇后のお腹にいたことになります。

んなアホな。。。

 この話、単純に考えると応神天皇が生まれる十月十日よりも前に仲哀天皇が崩御されている、つまり、応神天皇は仲哀天皇の子じゃないってことですよね。単純に考えると万世一系が途切れる。まぁ、神功皇后も傍系ではありながら皇族とされているので、必ずしも途切れているとは言い切れないのですが、本当の父親が誰か(武内宿禰という説があります)によっては、「男系による王統」が崩れてしまうのは確か。

 で、応神天皇と神功皇后は中央の都、つまり近畿へ向けて九州を出発するわけですが、その凱旋を異母兄弟、つまり仲哀天皇と別の奥さんとの間の皇子に阻まれ、皇位継承をかけて争うことになります。
 最終的に応神天皇が勝利して即位するわけですが、このエピソード、九州からヤマトに入り、戦って勝って即位するというストーリーが、初代の神武天皇の神武東征と被り、神武東征の焼き直し、つまり応神天皇と神武天皇が同一人物であるという説の根拠にもなっていたりします。

 とまぁ、あれこれと謎の多い日本の古代史ですが、そういったエピソードを頭に入れた上で古墳を観に行くと、想像力が掻き立てられて楽しいですよ、というお話です。

 どうでしょう?
 ・全国各地に数多くある八幡神社、
 ・その八幡神社にて揃って祀られている応神天皇、仁徳天皇、
 ・それらの天皇の古墳は、重要な要素である「大きさ」の点で1位、2位のツートップで、「面積」での1位と「体積」での1位を分け合っている、
 ・そんな重要性の高そうな応神天皇の古事記上の記述には不可解な点が見られる
 ・しかもヤマトタケルや卑弥呼にもつながってる感じ

 こういった事が頭に入っていると、「神功皇后や応神天皇が、現在の天皇家の始祖かもしれない」という説にちょっとだけ興味が出てきませんか?そんな知識が頭に入っていると、「八幡神社」を見た時に、「神社がある」という以上の何かのパッションが沸きあがってきませんか?その勢いで、応神天皇陵を観に行ってみたい!という気持ちが沸きあがってきませんか?

 あにれくに参加させて頂いて初めて杉並アニメーションミュージアムに来た時、正面に鎮座している八幡神社を観て( ゚∀゚)ウホッ!!っとなったのは言わずもがな。

 で、前提となる、こういったエピソードを頭に入れる方法なのですが、私が大好きなのは関祐二さんという方が色々と書かれている本です。神武天皇=応神天皇の説も関祐二さんの本に色々と興味深い見解が出ていますが、なにも難しい活字の本を読まなくても可能です。

 今回の話の一端である神功皇后のエピソードに関しては、例えば巨匠 安彦良和さんの漫画「天の血脈」である程度雰囲気をつかめるのではないでしょうか。

応神天皇陵の正面拝殿(2015/10撮影)

 その他、日本の古代史に関する作品でパッと思いつくものを挙げておくと、
・手塚治虫/火の鳥「黎明編」、「大和編」、「鳳凰編」
・石ノ森章太郎/マンガ日本の歴史
・安彦良和/ナムジ、神武、蚤の王、ヤマトタケル

想えば、小学生自分に見たアニメ版の火の鳥「大和編」が自分の中での古代史探訪の出発点かもしれません。