2021年7月20日火曜日

『絵コンテを切る‼︎』第6回

ども、博多です。

前回は、頭の中で「完全なる理想形」の映像を描く、という話をしました。
そして、その映像をそのまま絵コンテに出来るわけではない、という話も。

この「そのまま絵コンテに出来ない」という言葉にはいくつかの意味が含まれます。

まずは、頭の中で描かれた映像は、映像であって映像ではない、ということです。
思い描いた映像の中では、あちらこちらを自在に見回せますし、何なら同じ時間に同時にいくつものカメラを構えている状態……マルチアングルで見ることも出来ます。
イメージとしては、「シナリオに描かれた物語が繰り広げられているVR空間に、自分が複数人でカメラマンとして入り込んでいる」といった感じでしょうか。
つまり、二次元単一画面の状態ではないのです。

次に、上記のような状態なので、カメラアングルが決まってなかったり、カット割りが決まっていません。
「このセリフまではこのキャラがこのアングルで喋って」とか「このアクションをきっかけにカメラをこっちに振る」みたいなことがまだ混沌としてるということです。
もちろん、始めから「決めカット」を何カットかは想定していると思います。
「この瞬間の、このセリフは、絶対にコレ!」的なカットは、シナリオを読んだ時に思いつくはずです。
しかし、それ以外のカットはまだぼんやりしていることでしょう。
その辺は実際に、絵コンテを切りながら、決め込んでいくことになります。
逆に、最初から全てのカットを決め込めていれば、コンテを切る作業が驚くほどサクサク進みます。

最後に、全ての動きがフルアニメーション、美麗で作画崩れ皆無の状態ですので、これを完全再現しようと思うと作画枚数がトンでもないことになるのと、激ウマアニメーターが山のように必要になります。
そんな現場、あったら教えてください。
そして、そこで私も演出やらせてください。

ところで、
この「現場のキャパシティを想定する」ことが商業アニメの絵コンテでは重要です。
前回も書きましたが、「低カロリーで見栄えの良いフィルム」を現場(制作)は求めています。

じゃ、「低カロリー」だからといって「止め絵」ばかりの映像でいいのか?
動かないアニメはアニメじゃありません。
アニメは動いてこそ、なんぼです。
それに現場も紙芝居アニメを作りたいわけじゃありません。
低カロリーといいつつも、ちゃんと動いて見えるフィルムが欲しいわけで。

動かすべき時に、適度なカロリーで効果的に動かす。

これです。
カロリーは必要だけど最小限、動かないところは極力枚数を削る。
これを意識しないと、無駄に高カロリーで、制作的に大変なだけのフィルムになってしまいます。
「ここ、こんなに動く必要ある?」的な。
もちろん、動いたら動いたで、見てる方は嬉しいんですけどね。


さて、
ここでは作画的に気合を入れて動かすところ、特に画面の変化率が激しいところを「山場」と呼称します。
あえて断りを入れるのは、「山場」という言葉には色々な解釈がある上、本来の意味から違う意味で使用するからです。
「制作的に高カロリーな場面」と仮定して使用します。


この「山場」、画面の変化が激しく、見ている人は興奮・高揚するので「見栄えがいい」です。
アニメーションのダイナミズムであり、人々を魅了するポイントとも言えます。

ただし、これは諸刃の剣でもあります。

なぜなら、感情が昂り、目が画面に釘付けになる一方で、耳からの情報処理が疎かになりがちだからです。
激しい画面変化を目で追いながら、耳からの情報を整理出来るほど、人間は器用じゃありません。

つまり、重要なセリフや視聴者に考えさせるような重たいシーンには向かないのです。
「いやいや。私は、耳からも目からも同時に情報を処理できるよ」という向きもあるでしょう。
あなたはそうかもしれません。
でも、普通の人は違います。

「自分はどうか」で判断せずに、「特に熱心に観ているわけでもない、一般の視聴者はどうか」で考えましょう。
なぜなら、その「絵コンテ=フィルム」はそういう人たちに向けて作っているのですから。


長くなってきたので、次回に続けます。

では、また。


博多

2021年7月8日木曜日

『絵コンテを切る!!』第5回

ども、博多です。

前回は、コンテ打ちまでにシナリオを読み込みましょう、という話をしました。


シナリオが頭に入ったら、何回も反芻してみます。

そうすると、頭の中に映像が浮かんでくるはずです。


実はシナリオを初見で読んだ時からすでに、ある程度画面を頭に思い描きながら読んでいるのですが、それはあくまでもその場面のイメージ……つまりは静止画、またはワンカットだけの映像であって、1本の繋がった映像ではないはずです。

この断片化されたイメージを、頭の中で繰り返し再生しながら、映像として組み立てていく作業を行っていきます。


ちなみに、この作業は完全に頭の中で行なっている作業なので、目に見える形ではありません。

どこまで出来たら終わり、という明確な線引きはないですし、自分の中で「見えた!」と思えば、そこで完了です。

もちろん、その作業中に絵コンテを切り始めることもあると思います。

切り始めても、常に頭の中で上映し続けましょう。

何回も何回も上映して、脳裏に焼き付けておきます。


そして、

そこで出来上がった映像は「完全なる理想形」の映像のはずです。

潤沢な作画枚数により滑らかに動き、作画の崩れも一切ない。

キャラ表よりもちょっとゴージャスに「盛った」絵かもしれません。

さらに美麗な背景、思った通りのところにジャストなタイミングで自在に動き回るカメラ。

まるで「夢のような」映像が出来上がったことでしょう。


これが「目標」になります。

アウトプットする際に、その映像をどれだけ再現出来るか、というのが絵コンテの作業と言ってもいいです。

ここでは敢えて「どれだけ”忠実に”再現出来るか」という言葉は使いません。※



さて、

ここから様々な「引き出し」が必要になります。

「経験値」と言い換えてもいいでしょう。


この映像を、ちゃんと商業アニメの制作体制で再現しようとした時に、どのような手法を使えば最適なのか。

作画のカロリーはどのくらいか。その作品のスタッフで消化できそうか。

定尺の中で収まりそうか。


残念ながら、現在の日本の商業アニメの現場はかなりシビアです。

潤沢な予算や制作期間は望むべくもありません。

TVシリーズなら、なおさらです。

限られた予算、スケジュールの中で、多くのスタッフの献身的な努力のおかげで、奇跡のような素晴らしいフィルムが作られているのです。


では、

そんな現場で望まれているのはどういう絵コンテか。


一言で言うと「低カロリーで見栄えの良いフィルム」が出来る絵コンテです。

作画や3Dなど手作業部分のカロリーが低く、かつ予算を低く抑えつつも、演出が優れていて、見栄えがよいフィルムになる絵コンテ、ということです。


簡単に言ってますけど、これが完璧にこなせれば苦労しないわけで。

やっぱり自分の思い描いた「理想形」の映像に近づけようとすると、カロリーが高くなったり、カット数が多くなったり、尺が大幅オーバーしちゃったりします。


正直、絵コンテを切っていると1カットたりとも無駄なカットはない、全てのカットが必要かつ素晴らしい画面だと錯覚してしまいます。

ま、錯覚しないとマズいわけですが。※


いろいろと「大幅オーバー」な絵コンテは、様々な部分がカット(この場合、削除の方)されていきます。

我が子のように愛おしい作品(絵コンテ)をズタズタにされないためにも、必要最小限で監督の必要とするものを満たし、カットされない絵コンテを切る技術を磨きましょう。



次回は、作画枚数やカロリーに関連する「山場」について、です。


では、また。



博多



後の回で改めて説明します。