2015年6月2日火曜日

あにれくのあぶく:ヤマト

お久しぶりです
アニメ演出のヤマトです
ずいぶん間が空いてしまいましたが、また一つ投稿させていただきます。


1985年の夏、あれはうだるような暑い夏でした。
テレビでは連日飛行機事故のニュースばかりで12歳のまだ世間を知らぬ自分は、芸能人で自分と同じぐらいの歳の子供を残した父親が死んだとか、そんな話に興味を持てず、日々楽しみにしてた番組が潰れ無為に過ごしていました。





そんな夏休みを過ごしていた自分に父がみかねてあるVHSテープを渡してくれました
ラベルも貼ってない真っ白なテープです
今は違法ですが当時は皆知らずに行っていた市販のソフトからのダビングしたものだったのではないかと思われます。
電気屋を営んでいた父はよくお客さんからいらなくなった物など、いろんなものをいただいていたのでその中の一つだろうかと

その頃自宅にはビデオデッキなどなかったのですが店舗の展示用のビデオデッキを勝手に自分で操作して毎日のように自分はそのビデオを見ていました
それには美しい砂漠を駆ける少女が活躍するアニメ映画でそれに
魅入られた自分はその作品のセリフや撮り方など夏の終わりには
ほぼ暗記するほど何度見て感化されていました
その頃は良くそれを友人に話して聞かせ呆れられていました

アニメのスタッフなどに興味が出て来たのもそんな時期だったかと思います
あれから30年たち、そんな事など覚えてもいない父は二人きりになるとよく白髪頭の背を向け「もっとみんなに感謝される仕事をするべきだ」とか「ちゃんと家庭を持って人を養っていくことは重要な事だ」などと言っており一度も自分の仕事の事を直接良くは言ってくれませんでした


そんな父も5月9日永眠しました
自分が子供の頃は時々きいていた健康診断も自分を含め弟たちが成長すると
安心したのか近年はほぼいかず
胆管癌と診断された時はもう他の臓器に転移しており手術が難しい状態で
亡くなる当日は痛みが酷く苦しんだと聞いています
故郷と離れて生活している自分が着いた頃にはもう息を引き取り病院から自宅に運ばれていました

変わらず日々仕事に挑んでいる自分に父は天国から呆れられているかと思いますが、自分に依頼がある間は許してもらえればありがたいと祈ってます



近年アニメの仕事は給料体系の事や色々な組織の事などで話題になる事も多く、簡単に営んでいけない仕事だとは理解されている方も多くなっていますが、
それを理解されたなかでも挑んでいくかたや、また苦悩されながらも営んでいるかたも多いかと思います
アニレクとしてもまた自分自身としてもお互いちからになれたら嬉しく思ってます

この業界皆様と何かの折に出会える時を楽しみに…

駄文失礼しました

演出  ヤマトナオミチ