2017年1月5日木曜日

[あにれくのあぶく] 「植木金矢」展を見る

1219()「植木金矢」展を見る

江古田の喫茶店ぶなへ行き「植木金矢」展を見る。凄い!!!
中野からのバスはAnkamaで通い慣れた道を新井薬師を通ってゆく。「走馬燈」?このところこんな感じが多い。江古田駅に着いて迷いながらiPhoneをたよりに行く。旧ライブへの道もあり、懐かしい。商店街を行くと古めかしいパン屋がある。娘がマーガリンとイチゴジャムを塗ったコッペパンに興味を引かれる。(山崎パンの出来合いのものではない)帰りに買おうと約束して路地に入る。住宅地の中、こんな所に、小洒落たビル?の地階に「ぶな」は有った。


 
狭い階段を降りると古いがおしゃれな店構え。ブレンドを頼むがカップを指定するシステムで、私はシンプルなウエッジウッドの器。娘にはせっかくだからと金ぴかの器。コーヒーが出てくる間原画を見る。B1ほどの画用紙に薄く鉛筆で下書きした上に、すぐに水彩絵の具やポスターカラーで着色した嵐寛寿郎の鞍馬天狗が新撰組と切り結ぶ血湧き肉躍る活劇シーンが描かれている。戦後間もない時代の少年達を小松崎茂と共に夢中にさせた絵師である。その描写はあまりにも凄まじく「植木金矢」は、まさに天才と言える。
お店の好意でスクラップブックも手にとって見ることが出来た。
 
植木金矢を知らない人の方が多い時代になった。私は少し背伸びして植木金矢を見ていたが、もう少し上の年齢、80才に近い世代の男性には熱狂的なファンも多い。ただ、今の様にTVやネットが有ったわけではなく書店で雑誌を購入できる地域と経済力に左右されることが多かった。少年誌を買って読んでいたのは限定された層の人たちだ。未来を描く小松崎茂と時代劇を描く植木金矢。時代劇とはいえそれは銀幕を飾った時代劇スターへのオマージュ。そこからのイメージの発展だ。だから主人公のキャラは、ほとんど時代劇スターの嵐寛寿郎、市川右太衛門、中村錦之助、東千代の介、大友龍太郎そのままで有る。そのキャラクターが活き活きとドラマを繰り広げる。初期の表現方法は物語に挿絵のついた絵物語で有り、後に劇画、コミックの原点となる形に発展する。しかし、植木金矢はそれだけに止まらず、西部劇、偉人伝、映画ポスター、原爆の悲劇を描く。通俗的な世界観の絵師ではあるが、そのエネルギーは上流のサロンを飾るタブローを上回る情念を放つ。
原爆の悲劇を生々しく描いた作品は悲しさと共に怒りを描いている。
 
私が感動するのは質と共にその膨大な量である。多分植木金矢はモデルや資料がなければ書けないタイプではなく、アニメーターの天才達同様にほとんどを記憶から描いているはずである。さもなければ、あれほどの量を描けるはずはない。宗十郎頭巾や刀を構えたときの着物の袖の皺は記憶から類推してその都度フォルムを変えると思える。優秀なアニメーターを思わせる。そして90歳をすぎた今でも創作意欲を持っている。
 
ふだんは鎌倉まで足を伸ばさなければならない作品を江古田で、生原稿を間近に見ることが出来た。


帰りはコッペパンを抱えた娘と久しぶりに西武池袋線に乗った。20年過ごしたひばりヶ丘から中央線沿線に移った今でも池袋線は懐かしい線だ。何度アニメをやめようかと悩んだ富士見台の駅やアートフレッシュ時代の練馬駅。そしてライブがあった江古田駅。思い出は無数にある。車窓から見て特に思い出に残る球形のガスタンクが2個から7個に増えていた。
 
12月1日の「母をたずねて三千里」展に続いて力を貰った気がする。まだまだ頑張れる気がする。